皆さんこんばんは(●´∀`)ノ あきひこです。
今月も遅くなり、申し訳ありません。
今月も読んで頂ければ嬉しいです。
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「 いってらっしゃい 」
2020年8月26日。
上津役家次男である、シマさんが天国へ行きました。
享年91歳。
2017年3月25日。
あなたは大浦家の家族になりました。
この時のあなたは、右手に杖を持ち、
ふらふらしながらもまだ、何とかひとりで歩けていました。
あなたは、レビー小体型認知症を患っており、
よく幻覚や幻聴を見聞きしてはそれに振り回され、
コケそうになったり、怪我をしそうになったりしていましたね。
夜間に症状が酷くなることが多く、実際にベットから落ちたり、
トイレではない場所でトイレをしたり、2階のベランダへ飛び出そうとしたり、
叫んだり、暴力的になったり・・・。本当に大変でした。
ただ、幻覚症状の出ていない時の本当のあなたは、
とても穏やかで、優しく思いやりに溢れた方でした。
入居当時、あなたは食欲旺盛で、夕食だけでは物足りないと言って、
昼間に私と近所のスーパーへ行って買って来た菓子パンを、夜食として食べていましたね。
私もそれに付き合わされては、他愛もない話をよく2人でしたことを思い出します。
家族の話。仕事の話。心配事の話。
なんだか、もうずいぶん昔の事の様に感じます。
過去の日記に書きましたが、あなたと過ごす事の大変さに、
あなたに退去してもらった方が良いのではないかと迷った時もありました。
今では、本当にあの時に投げ出さなくて良かったと、心から思います。
絶対に投げ出さないと決めた私は、周囲の居室の方に迷惑を掛けてはいけないと、
考えた末にご家族に許可を頂き、あなたを私と相部屋にしてもらう事にしました。
当時私は大浦家に住んでおり、2階の一番奥の部屋に居た為、
夜間にあなたが大声を上げたとしても、他の方にそんなに迷惑が掛からない事、
そしてすぐに私が対応する事で少しでも早く落ち着かせる事が出来るだろうと考えての事でした。
2人同じ部屋で寝る生活が始まってからも、始めの内は大変で、色々ありました。
夜中に幻覚を見て突然大声をあげるのはもちろん、大きな物音で飛び起きると、
私のデスクがひっくり返っていたり、部屋中に本や資料が散らばり、
見るも無残な状況になっていたり、床に尿だまりが出来ていたり・・・。
睡眠不足で余裕のなくなった私が、ついぞあなたに対して声を荒げてしまう事もありましたね。
そんな風に一緒に寝食を共にする中で、いつしか私はあなたに、
『大将』と呼ばれるようになっていました。
あなたは昔大工をしていたから、もしかしたら私の事を、
棟梁の様な存在だと思っていたのかもしれませんね。
そういえば、こんな事もありました。
開業してスタッフも落ち着き、初めて私が休みをもらった時の事。
私が外出して、夜21時くらいに大浦家に帰って来た所、
いつも19時には部屋に戻り、休んでいるはずのあなたの姿がリビングにありました。
「あら、シマさん。こんな時間まで下におるとかめずらしいね~。」
『ああ、大将!おかえりなさい!ほらっ、お前早く大将にお茶でも出さんかっ!』
そう催促された夜勤スタッフは、お茶を淹れながら、
「何度も出かけてるから先に休もうって言ったんですけど、
『大将が休んでないのに自分が先に休むわけにはいかん!』
て言って、休んでくれなかったんですよ~。」と、
困り顔で私にシマさんがリビングに居る理由を教えてくれました。
あの時は、この調子だと今後、夜外出も出来ないなぁ。と、
困ってしまったのと同時に、そんなにも私の事を尊重してくれるあなたの気持ちが、
とっても嬉しかったのを覚えています。
ある時、あなたが風邪をひいて4日程寝込む事がありました。
それをきっかけにどんどん体力や筋力が低下し、
それと共に表情にも覇気が無くなり、元気もあまり出なくなって来ました。
その状態のあなたを見て、
ご家族が、『これはもしかして、お迎えが近いのでは・・。』と心配するほどでした。
「まさかシマさんに限ってそんな事は無いでしょう。」と、
その場は笑ってやり過ごすも、私の心にご家族のその言葉がどうにも引っ掛かり、
何をしていても、モヤモヤしていました。
そして、中々調子が上向かないあなたを見る度に、
そのモヤモヤが大きくなっていったのです。
あの時、私は考え続けていました。
『あなたの為に、私に何か出来る事はないか?』と。
そうして私が思いついたのは、
今考えてもよくそんな事が出来たなと思う様な、とんでもないものでした。
それは、その時他の施設に入居していた、シマさんの奥さんである、
ヨネさんを、既に満床で空き部屋の無い大浦家に何とかして入居させる。
というものでした。
しかも、最短最速で。
そうして決断した私は、すぐに行動に出ます。
まずご家族に連絡を取り、ヨネさんを最短でシェアハウスに転居させてもらえないか。
もし現在入居の施設の契約上、急な退去による違約金などがかかる場合は、私が負担するので。と。
ご家族は急な話で驚いていましたが、
私が、「もし、ご家族の言われた様に、シマさんのお迎えが近いのであれば、
せめて最後の1ヶ月でも半月でもいいから、夫婦一緒に過ごせるようにしてあげたい。
それにもしかしたら、奥様が傍に居る事で元気が出て来るかもしれないから・・・。」
と私の想いを伝えた所、
『わかりました。近いうちに母の施設に話してみます。』と、受入れて下さいました。
その後、担当ケアマネにも報告し、本人との面談、会議などを経て、ヨネさんが入居する事になりました。
居室の問題は、大浦家の離れを使用する事で何とかしました。
ヨネさんが入居した日、ここ最近の覇気の無さが嘘の様に、あなたは元気でした。
ヨネさんの腕をポンポンと叩き、私を指さして、
『この人が俺がいつもお世話になっとる大将や、ほら、挨拶せんか。』と、しきりに言っていましたよね。
でも、言われている当人のヨネさんはどこ吹く風で、
なんじゃこのじいさんは・・・ という様な顔をしていて、
その2人の姿が可笑しくて笑って見ていたのを思い出します。
ヨネさんが来てから、あなたはどんどん元気を取り戻しましたよね。
今でもたまに考えます。
あの時、こんな無茶なお願いをするなんてありえない。
そう思って行動を起こさなかったら。
ご家族が私の提案を受け入れて下さらなかったら。
あなたが元気を取り戻す事は無く、
私もやっぱりあの時行動しておけば良かったと、後悔していたかもしれないと。
それからはヨネさんも一緒に、色々な事をしましたね。
大衆演劇や博物館に行ったり、サーカスを見に行った時は、
まるで子供の様に目を輝かせて食い入る様に見ていましたね。
旅行にも行きました。
美味しいものを食べて、気持ちいい温泉に入って。
こう思い返してみると、あなたとは、大変な事だけではなく、楽しい想い出も沢山ありますね。
そういえば、あなたには言ってなかったけど、
あなたにとってのピンチがもうひとつあったんですよ。
それは、それこそヨネさんが入居する少し前の事だったと思います。
スタッフ2人が私の所に来て、あなたをみるのが大変だから、
ご家族に病院に連れて行ってもらい、薬を処方してもらう事は出来ないのか。
そう訴えて来たのです。
この頃のあなたは、先に言った様に覇気がない状態でしたが、
いつも虚ろな感じで夢と現実の区別がつかず、混同してしまっていたのか、
覚醒したと思ったら、突然怒り出したり、唾を吐いたり、
皆に暴言を浴びせたりといった症状が日常的に出ていました。
周囲が楽しく過ごしていても、あなたが怒りだしてしまい、一転みんなが怖いと雰囲気が悪くなる。
あなたの排泄や入浴のお手伝いをしようとすると、怒鳴られたり、殴ろうとされたり。
そんなあなたの症状に耐えかねてスタッフ達は私のもとに来たのです。
スタッフ達は私に訴えます。
「今の状態のシマさんをみるのは、正直言って難しいです。
周りの入居者の皆様への影響も大きいし、何より頻繁に興奮状態になるシマさん本人が一番きついと思います。
医師に相談して精神を落ち着かせる様な薬を処方してもらえるように出来ないでしょうか?」と。
私も確かにその時のシマさんの症状をそのままの状態でみて行くのは大変だし、
他の大浦家家族の皆への影響も計り知れない。そう思っていました。
が、私はスタッフ達に、
『嫌です。そんな事はしません。』
「え?・・・何でですか?」
私のまさかの返事に唖然とするスタッフ達にこう続けます。
『私達の判断でシマさんを殺していいんですか?その覚悟があるんですか?』
「?????」
ますます意味がわからないという顔をするスタッフ達。
私は、スタッフ達が私の言葉の意味が分かっていない様なので、分かりやすく説明しました。
長くなるので細かい説明は省きますが、
介護の仕事をしていると、今回のシマさんの様な利用者の方をみる事はよくあります。
そして、大抵の所は今回スタッフが言って来た様に、薬を処方してもらい、症状を抑えようとします。
すると、どうでしょう。
効果てきめん!すっかり大人しくなります。
いつも、起きてるのか寝てるのか分からない様な状態になり、
以前の様にコミュニケーションをとる事も、動く事も難しくなります。
その状態が続く事で急激に身体は衰え、ある時、誤嚥性肺炎にかかり、亡くなります。
これが、私が10年以上施設に勤めていた時の一番オーソドックスなパターンでした。
おそらくそれなりの期間働いた経験のある介護者であれば、理解できると思います。
うちのスタッフ達もこれは理解できました。
そこで、こう問いかけました。
『この方が薬を飲むようになってから肺炎で亡くなる前までの間、
果たして本当に生きていると言えるんですかね?
言いたい事、やりたい事があっても薬で意識朦朧状態に抑えつけられ、
何も出来ずに日々を過ごし、そして死ぬ。
私は、薬を飲ませた時点でもう死んでいるのと変わらないと思う。
家族は申し訳ないと思うから、お願いすれば嫌とは言わない。
だから私達介護者がお願いすると決断してしまったら、
それは私達がその方を殺すのと変わらないのではないですか?』
「でも、じゃあどうしたら・・」
『皆で考えて、思いつく限りの方法をやって行きましょう。
思いつく限りの事をやってダメだったら、その時、ご家族に相談しましょう。』
「思いつく方法は私達も既に色々やりましたが、それでもダメだったから話に来たんです。」
『それはスタッフが個別に試したことでしょ?そうではなく、
皆で話して決めた対応方法を皆で試さないと効果はでませんよ。』
「でも・・・。」
スタッフも自分達なりに必死で考え、関わってきただけに、簡単には納得できませんでした。
『じゃあ、私がダメだと思う根拠を言いましょう。
それは、皆さんが困っているシマさんの症状が、私の前では出ないからです。
相手を選ぶ事が出来ているのなら、絶対改善する方法があるはずでしょう。』
そう、あなたはそんな激しい症状が出ている時でも、
私には怒鳴ったりせず、いつもの様に接してくれていましたよね。
私はそれを見て、あなたの今の症状は精神疾患の様に、
あなたの意に反して症状が出ているわけではなく、何か他に原因があると気付く事が出来たのです。
スタッフ達もそれは普段から目にしていたので、納得せざるを得ませんでした。
それから、なんやかんや頑張ってあなたも少しづつ落ち着き、何とか一件落着。
こんな事があったなんて、あなたは知らなかったでしょ?
あの時、スタッフの訴えを受け容れていたら、あなたはその後どうなっていたのでしょうか。
きっと、今のあなたの様に、皆に見守られながら、
奥さんに手を握られながら、眠る様に穏やかに最後を迎える。
こんな事は出来なかったのではないかと思います。
後悔が全く無いわけではありませんが、私の20年足らずの介護人生の中で、
一番私達があなたにしてあげる事の出来る、精一杯を、介護者としての理想を、
そしてなにより、きっとあなたにとってこれ以上ない最後の形を、
あなたと私達、ご家族、ケアマネ、医療関係者の皆の力で実現出来たから、
とっても寂しいですが、哀しくはありません。
あなたは私に、そしてみんなに、困難を与え、時には難しい選択を迫り、
私達が人として、介護者として、本当に大切な事とは何かを教えてくれました。
あなたは、私達の中で生きています。
あなたと一番長く濃くかかわらせてもらった私は、
正直、まだあなたがいなくなってしまった実感を持てずにいるくらいです。
こうやって今までの事を思い返す時、
まるで昨日の事の様に、あなたの表情や声を鮮明に思い出す事が出来るから。
もし今私が、あなたの居ないあなたの部屋を訪ねて、あなたが居たとしても、
きっと何も驚かずにいつもの様に世間話をして、一緒に笑うでしょう。
それくらい鮮明に、私の中にあなたが居ます。
だから、涙も出ないし、哀しくもありません。
寂しくなっても目をつむって、こうやって思い出せば、ほら、あなたが出て来てくれるから。
だからこっちの事は気にせずに、
向こうでゆっくり、のんびり、楽しくお酒でも飲みながら、私達の事を見守っていて下さい。
きっと先に行っている大浦家、上津役家家族のサエさん、マコさん、タケさんも待ってくれていると思うから。
向こうでは短気を起こさず、皆と仲良くね。
『今まで本当にありがとう。』
『じゃあ、いってらっしゃい。』