「 たった1度 」
11月1日。上津役家に新しい家族が増えました。
ヨウさん62歳。
始まりはご家族様からのSOSでした。
彼女は、今年の始め頃まではひとりで生活をし、仕事もしていました。
しかしある時から、徐々に認知症の症状が現れる様になりました。
彼女の主な症状は、幻覚・幻聴症状。
これまでは何とか生活を続ける事が出来たものの、
徐々に症状は進み、誰かの声が聞こえる為、自宅のトイレに行けず、
トイレの度に近所のコンビニまでトイレを借りに行くなど、
生活に支障が出て来る様になりました。
仕事も続ける事が難しくなり、休職する事に。
心配したご家族は専門医に相談し、検査入院をする事になりました。
ご家族様はこれまでの経緯を、丁寧に説明してくれました。
私は、入院してから結構日が経っているのに
まだ退院していない事を不思議に思い、訊ねてみた所、
『入院初日に看護師への暴力行為があり、
暴力行為への対処として、身体拘束をする事。
そして、それが原因で検査が中々進んでいないとの状況報告があった。』
ご家族様は、哀しそうな、悔しそうな、何とも言えない表情で答え、さらに言葉を続けます。
『彼女はとても穏やかで、暴力行為を働く様な人間ではない。
入院前に通っていたデイサービスでもそのような問題を起こした事はありません。
コロナ過で本人と面会出来ないので確かめ様がありませんが、
病院の言っている事は、私達にはとても信じられない。
このまま身体拘束された状態で入院が長引けば、
それこそ彼女の状態が余計悪くなってしまうのではないかと心配でたまらない。
ケアマネージャーに相談したら、上津役家を紹介されました。』
それは正に、ご家族様の悲痛な叫びでした。
医師が嘘を言うわけがない。
でも、今までの彼女を見てきて、とてもじゃないがそんな事をするとは思えない。
何を信じたら良いのか?
自分達はどうすればいいのか?
ご家族様の会話の内容は要約させて頂いていますが、
話しの随所に、そんな想いや葛藤がにじみ出ていました。
私はご家族様に、
「私は彼女の事を知らないので、確実な事は言えません。
しかし、話しを聞く限り、私も今の状態は良くないと思う。
環境の変化や、病院の対応方法が悪く、
精神的に不安定になってしまっているのかもしれない。
退院すれば、元の様に落ち着く可能性は十分あると思いますし、
彼女の為にもそうしてあげた方が良いと思います。」
そうお伝え致しました。
ご家族様は、弊社の事を信じ、彼女を退院させる事を決断してくれました。
私は、彼女の退院に先立ち、現在の彼女の状態を知る為に、
病院の担当医と連絡をとりました。
担当医は次の様に話しました。
『入院初日に、落ち着かない彼女が他の方の病室へ入ろうとし、
看護師がそれを止めようとした所、突き飛ばされた。
その後、安全を考慮し、個室へ移動し隔離。
その後も、昼夜問わず壁が壊れるのではないかと思う程、
激しく壁を叩く等の行為が見られた為、身体拘束実施。
現在は身体拘束しているので、何事も無く落ち着いているが、
拘束を解除したら、どのような状態になるかはわからない。
認知症は治る病気ではないので、病院としては、今後も退院するのは難しいと考えている。』
担当医との話を終えて、
改めてご家族様からお聞きした彼女の人物像とのギャップに困惑しました。
その後、私はご家族様と病院にお願いし、
何とか入院中の彼女に面談する機会を作って頂きました。
実際に彼女に会って受けた印象は、
事前に病院に聞いていたものとは違い、ご家族様から聞いていた通りのものでした。
私が病棟に入った時、彼女は拘束されておらず、
共用スペースの椅子に座り、静かにTVを見ていました。
聞くと、落ち着いて来た事もあり、
彼女の身体拘束は終日から夜間だけになっているとの事でした。
その後、面会室で彼女とお話をさせてもらいました。
彼女は言葉がスラスラと出てこない様で、
どもるような感じではありましたが、会話も問題なく出来ました。
その際の表情も、とても穏やかで物静かなものでした。
面会を終えて、今後どの様にするのが良いのか考えました。
仮に彼女が自宅ではない環境に不安を抱き、
症状が悪化してしまっているだけだとしたら、
退院して自宅に戻れば、症状は落ち着く可能性はあります。
しかし退院しても、また彼女の知らない上津役家という環境に来て、
彼女の心が不安定になり、同様の症状が出たら、
彼女や他の入居者の方にケガをさせてしまうかもしれない・・・。
でも、もしかしたら単純に病院スタッフの彼女への対応方法が間違っていて、
彼女をより不安にさせてしまい、その様になっているだけかもしれない・・・。
色々と考えた結果。
私は、ご家族に担当医から聞いた現状をお伝えした上で、
退院後、彼女が自宅でひとりで生活するのは難しいだろうから、
数日間だけでも良いので、ご家族様の元で彼女を受け入れて頂けないか。
そしてその間に、何度か夜間の彼女の様子を見に伺わせて欲しい。
体験時の様子と彼女の意向を聞いた上で、入居するかを判断して頂く。
この様な流れで進めさせて欲しいとお願いしました。
ご家族様は私の提案を快く受け入れて下さいました。
こうして、彼女は退院する事になりました。
数日の検査入院のつもりが、気が付けば、2ヶ月半。
その内、実に2ヶ月近くも病院で隔離・拘束されて過ごす事になっていました。
もし、私がそのような状況に置かれたら、他人に恐怖を抱き、
人を信じられなくなり、生きる気力を無くすかもしれない。
だから、退院後の彼女の精神状態を1番に心配していました。
そして退院初日の夜。
私はご家族様のご自宅を訪ねました。
そこには、リビングのソファに座り、穏やかな表情でTVを見る彼女の姿がありました。
私が訪ねるまでの間の様子をご家族様に聞いてみると、
歩行に少しふらつきが見られるが、それ以外は特に以前と大きく変わりなく落ち着いているとの事。
そのまま皆で少し世間話をする中で、彼女の笑顔も見る事ができ、
身体拘束による精神的影響もあまりない様子だったので、ほっと一安心。
その後も彼女から病院から聞いていた様な症状がみられる事はなく、
彼女は、他の入居者の方々と一緒に家事の手伝いや体操、
レクレーションや買い物などをして、過ごされました。
結果、彼女はその穏やかな表情を1度も崩す事はありませんでした。
こうして、何の問題もなく彼女は上津役家の家族の仲間入りをしたのでした。
彼女が入居してもうすぐ1ヶ月。
暴力行為はおろか、入院のきっかけになった幻覚・幻聴症状もみられておりません。
彼女との出会いは、認知症をみていく私達にとって、
とてもショックで考えさせられる出来事でした。
ヨウさんが病院で不安になった時、
ヨウさんの、その時の精神状態に合わせた対応をしていたら、
何事も無く検査を終える事が出来たかもしれません。
それが、たった1度。
たった1度、不安になってやってしまった事で、身体拘束されてしまい、
専門医に退院は難しいと言われてしまう。
考えてみると、これはとても怖い事です。
ヨウさんはご家族様が疑念を抱き、行動を起こしたからこそ退院する事が出来ましたが、
普通は、専門医から
『今の状態では退院は難しい。』と言われたら、
受け入れてしまう事の方が多いと思います。
つまり病院には、ヨウさんと同じ様に、適切な環境や支援があれば、
自宅や施設で落ち着いて生活出来る可能性のある方が、たくさん居るのかもしれない・・・。
私は、病院や医師が間違っていると言いたい訳ではありません。
彼らは、患者がどの様な人なのかを知るのが役割ではありません。
あくまで、患者が病院に来てからの状態を診て、診断し、判断をする。
それが病院や医師の役割なのです。
いわば、ヨウさんの様な方々は、
病気を診るという役割と、ご家族様や私達の様に生活をみるという役割。
その役割と役割の狭間に落ちて病院での入院生活を余儀なくされている。
そんな方々なのかもしれません。
考えてもどうしようもありませんが、
私は、その方達に何もしてあげる事の出来ない現状を思うと、
どうにも歯痒く、やるせなく、哀しい気持ちになってしまいます。
今、せめて私達に出来る事は、
今回、役割の狭間から掬い取れたヨウさんが、上津役家で楽しく生活出来る様に頑張る。
それだけです。