「 耐え難き別れ 」
先月号で旅行再開の宣言をしたのも束の間。
2月は、シェアハウスの家族との別れが立て続けに重なりました。
令和5年2月18日。
上津役家家族のザキさんが天国へと旅立ちました。享年97歳。
令和5年2月23日。
大浦家家族のケイさんが天国へと旅立ちました。享年82歳。
令和5年2月26日。
上津役家家族のトシさんが天国へと旅立ちました。享年81歳。
ご家族の皆様には、心よりお悔やみ申し上げます。
また、お三方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
上津役家のザキさんは、
去年の年末頃より、肺炎や心不全などで入退院を繰り返していました。
2月10日に退院し、上津役家に帰って来た彼は、
身体も随分痩せ、以前に比べると元気も無くなっていました。
そして、食べる事を止めてしまいました。
担当医は、もう看取りの段階に入っている事をご家族に話します。
そして、今後出来る事としては、
・入院させて、点滴や鼻腔栄養などで栄養状態を維持していく。
・上津役家で訪問看護などを可能な範囲で利用し、点滴を行いながら最後まで看取る。
この2つの選択肢がある事を伝えました。
ご家族の皆様は話し合った末に、
暮らし慣れた上津役家で最期を迎えさせてあげたいと、
上津役家で看取る事を決断されました。
退院して2日目。
せん妄の症状が出始め、ベッド上で動き回る様になりました。
その為、中々点滴が入れられず、
結局、点滴を入れる事が出来たのは1回ほどでした。
スタッフは、最期を迎えようとしている彼に、少しでも何かできないか。
考えを巡らせます。
そして、手の空いた時間を見つけては彼の元へ行き、声を掛けたり、
彼が好きだった食べ物など食べてもらえないか働きかけたり、
彼が良く歌っていた歌を歌ってみたりしました。
彼は上津役家のムードメーカーの様な存在でした。
思い返せば、ほぼ毎日の様に上津役家には彼の歌声が響き渡っていました。
とてもまじめな性格で、
ひ孫ほど歳の離れたスタッフに対しても、ですます口調で話していました。
彼のお通夜に伺った際、
スタッフが彼の良い表情を集めたパネル(今月号の写真)を作成してお持ちしたのですが、
彼の上津役家での表情を見て、
『私達の知っている父とは全然違う表情をしている。
父にそんな一面があったとは知りませんでした。』
と、言われていました。
ご家族様にとって彼は、とても厳格で厳しかったそうで、
ふざけたり、無邪気に笑う事など見た事はなかったとの事でした。
彼が亡くなる前日。
スタッフは彼の身体を拭いて綺麗にし、少しでも今の彼に喜んで貰いたいと思い、
彼の好きだったあんこを水に溶いて、
唇に湿らせる程度に少しづつ彼の口に運びました。
その時、彼の表情がほころび、
うん、うん、と満足した様に首を縦に振ったそうです。
そして夜になり、日付が変わった頃。
彼は眠る様に息を引き取りました。