「 もし 」
令和5年4月3日。
大浦家のサリさんが大浦家を離れ、別の施設へお引越しをする事になりました。
ここ最近、彼女は体調を崩しており、それまでは自分で歩けていましたが、
それも難しい状態でした。
はじまりは帯状疱疹でした。
ある時より首周りに発疹ができ、あっという間に周辺に発疹が広がりました。
すぐに受診し、薬での治療が始まったものの、
痛みが強いようでしばらくは辛そうにされていました。
そして、痛みも徐々に治まり、発疹が枯れ始めて来たかと思ったら、
次は床ずれ。
すぐに訪問看護などを入れ、対応する様にしましたが、
状態があまり良くない為、ご家族様は現状を重く受け止め、
しっかりと看護対応できる施設への引越しを決断されました。
私がサリさんとはじめて会ったのは、彼女のご自宅でした。
認知症が進行し、会話もほとんど成立しない彼女を、
ご主人だけでみるのが難しくなったとの事で、ご家族が相談に来られました。
はじめて会った時、やはり会話は成立しませんでしたが、
はじめて会う私にも、笑顔で接してくれた事を覚えています。
入居に先立ち、
彼女の通っていたデイサービスにデイでの様子を確認した所、
「とにかく何をするにも大変で、車に乗せる、
食事の際に椅子に座ってもらうだけでも手間と時間がかかる。」との事。
また、とりわけお風呂に入れるのが大変という事でした。
しかし、よくよくご家族にもお話を伺った所、
月に数回ご家族が自宅で彼女をお風呂に入れる際は、
手間もかからずスムーズに入れるという事がわかりました。
考えた末に私はご家族にお願いし、
一度、大浦家で彼女をお風呂に入れてみてくれないか、
そしてさらにその様子を動画撮影させてもらう事にしました。
そして、それをスタッフで共有、参考にして対応する事にしました。
始めの頃はスタッフも対応に苦慮していたものの、
徐々にスムーズに誘導する方法を掴み、
問題なく生活する事が出来る様になりました。
それに伴って、彼女の笑顔も多く見られる様になって来たのを覚えています。
今回のお引越しに際して、
ご家族間、そしてご家族と弊社との情報の行き違いや認識不足などもありました。
それが、ご家族が引越しを決めた要因の一つなのかもしれません。
もし、もっとご家族とコミュニケーションをとっていれば、
もし、もっと早く床ずれに気付く事が出来ていれば、
彼女が引っ越す事はなかったかもしれません。
彼女には、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
令和5年4月18日。
大浦家家族のアッコさんが天国へと旅立ちました。
享年85歳。
彼女と始めに会ったのは、平成29年4月頃。
大浦家に来て頂いた時でした。
施設から来た事もあってか、元々の性格からなのか、
彼女は施設に入る事に対する拒否感が全くないようで、
「私はどこでも大丈夫。」と、何の不安も緊張感も無く、
あっけらかんと言っていた事を、今でもはっきりと覚えています。
入居後、彼女は宣言通り、何の問題もなくすんなりと大浦家に馴染みました。
大浦家では元々の仕事を活かし、
私や他の入居者の方の髪を、何度も切ってくれました。
そして、沢山の事を一緒にしました。
時節の行事はもちろん、
花火やボーリング、カラオケ、外食、大衆演劇、ステンドグラス作り体験、
海、買物、サーカスなどなど。
多くの時間を、彼女と共に過ごしました。
彼女との時間を振り返った時、
彼女と出来なかった事、一緒にしたかった事が、ひとつだけあります。
それは、旅行です。
平成30年に行った大浦家の第一回目の旅行には、
旅行実施前月に彼女の身体に腫瘍が見つかり、入院となってしまった為、
彼女は行けませんでした。
彼女は腫瘍の手術と併せて、ストーマを造設。
何とか大浦家に帰って来る事が出来ました。
その後、誤嚥性肺炎や転倒による骨折などによる入院が重なり、
身体機能は低下したものの、
彼女は落ち着いて生活する事が出来ていました。
退院後、彼女とは次回の旅行は必ず一緒に行こうと約束していました。
しかし、そんな彼女にまたも不幸が重なります。
腫瘍が再発したのです。
ご家族は年齢や身体の事も考え、
このまま経過を観察しながら、彼女を見守る事にしました。
当初、医師の話しでは先は長くなく、
徐々に腫瘍による痛みや黄疸なども出て来るだろうとの話でしたが、
その気配はなく、
彼女は変わらず穏やかに生活を続ける事が出来ていました。
しかし、病魔は確実に彼女を蝕んでいた様で、
ご家族の話しでは腫瘍の状態はあまり良くなかったそうです。
私は、彼女が元気な間に何としても約束を果たし、
彼女にひとつでも多く楽しい時間を過ごして欲しいと思っていました。
そんな矢先にコロナ禍。
私は迷い、悩み、旅行を先延ばししていいのか?
自問自答を繰り返しました。
そして今年、旅行の再開を決意しました。
再開を決意してから、彼女とは何度も今年は絶対一緒に行くから、
前回行けなかった分まで、沢山楽しもうと話しました。
そんな時でした。
彼女が発熱し、体調を崩してしまいます。
すぐに医師に報告して薬をもらい、状態観察中でした。
夜間、スタッフが少しでも食べてもらおうと思い、
おじやと冷奴を用意して、夕食を薦めます。
彼女は食べると答え、夕食の介助をしていた時でした。
彼女は食べ物をのどに詰まらせてしまいます。
スタッフはすぐに救急搬送しました。
彼女は一度は心停止したものの、何とか持ち直します。
全員が彼女の回復を祈りました。
が、深夜。
彼女は逝ってしまいます。
介助を行ったスタッフは、
もし、自分が食事を提供しなければ、
こんな事にはならなかったのではとひどくショックを受けていました。
皆で伺った通夜の際も、
スタッフはご家族に涙ながらに何度も謝っていました。
頭を下げる私やスタッフに対して、
一番辛いはずのご家族の皆様は、
「寿命だと思っているから気にしないで下さい。
最期においしいご飯が食べれて良かった。
母は大浦家に入って良かったと思います。
本当にありがとうございました。」と、優しく声を掛けて下さいました。
後悔するばかりの私達には、
ご家族様の心遣いは本当にありがたく、救われるばかりでした。
本当にありがとうございます。
今回の事は、本当に哀しく、後悔ばかりが残ります。
アッコさん。
苦しい思いをさせて、本当にごめんなさい。
約束も守れないままお別れする事になってしまいました。
約束を破ってしまった私を、どうか、許してください。
人の終末期を見守るこの仕事をしていると、後悔ばかりが募ります。
もし、あの時こうしていたら、
もし、あの時ああしていたら、
もし・・・もし・・・。
今回の事も含め、毎回そうですが、
昨日まで笑って一緒に過ごしていた人が、今日はいない・・・。
哀しさ、寂しさ、辛さ、後悔に圧し潰されてしまいそうになります。
こんな辛い仕事は辞めようかと思う事もあります。
そんな中、圧し潰されずに何とか持ちこたえてられているのは、
ご家族様の言葉や今横で笑っている入居者の皆の笑顔があるから。
そして何より、ここで辞めてしまったら、
お別れする事になってしまった皆から学んだ事、教わった事、
一緒に過ごした時間と思い出が、全て無くなり、
無駄になってしまうのではないか。
皆との繋がりが無くなってしまう。
その想いが、私を思い止まらせます。
今、私がしなければいけない事は、
この後悔を忘れず、同様の事があった時にまた後悔しない様、
対策を考え実施し、より良いシェアハウスにして行く事。
皆との別れを無駄にしない事。
毎回、そう自分に言い聞かせます。
みんな、それでいいんだよね?
・・・でも、やっぱり辛いよ。
きっと、きっとまた前を向いて進むから。
少しだけ、少しだけ足を止める事を許して下さい。
今月は上津役家の旅行があります。
それまでにはきっと持ち直し、皆に楽しんで貰える様にします。
だから、旅行にはあなた達も絶対に来て下さいね。
今月号は乱文で申し訳ありませんが、どうぞお許し下さい。